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東山動植物園の歴史

動物園の歴史

動物園が現在の東山の地に開園したのは、昭和12年(1937年)3月24日である。それ以前は鶴舞公園で19年間の歩みを経ている(大正7年~昭和12年:1918年~1937年)。さらにその前身は、明治23年(1890年)、中区前津町で一般公開された今泉七五郎氏の「浪越教育動物園」である。

こうした100年以上にわたる"名古屋の動物園"としての積み重ねがあることを忘れてはならない。

この文章は1987年に東山動物園50周年を記念して友の会会報「東山動物園友の会」創刊号(1986年)からナンバー6(1987年)まで「東山動物園50年の歩み」として連載された記事に一部修正を加え、さらにナンバー7・8・9を加筆したものです。

物語「生きのびた象」戦前戦中の東山動植物園

東山動植物園の生い立ちと戦前戦中を歩んできた足跡を綴った物語「生きのびた象」を公開します。

ゴン太とオキとプッピーと

東山動物園の人気ゴリラトリオと、飼育する浅井力三さんの姿を当時制作の映像にて紹介しています。 <昭和40年(1965年)制作>

ゴリラの画像

動物と生きる飼育員

東山動物園での動物たちと、若い飼育員たちとの愛情あふれる交流を当時制作の映像にて紹介しています。<昭和45年(1970年)制作>

動物と生きる飼育員の画像

植物園の歴史

昭和7年(1932年)、東邦瓦斯株式会社(現東邦ガス)から、植物園の整備費として25万円の寄付申し入れがあった。その年の9月には名古屋の博物学者・梅村甚太郎率いる名古屋博物学会から、「陳情書 植物園及標本館設立ノ件」として植物園と標本庫の設置要望が市会に提出された。これらを受け大岩市長は動物園・植物園を備えた一大公園の実現を考え、森林公園(現在の東山公園)をその候補地として定め、現場踏査や地主との無償譲渡の交渉に入った。昭和8年末、建設予定地の確保がほぼ完了し、昭和12年の開園に向け事業が進行していく。

植物園の将来へ向けて

平成18年に基本構想が策定された東山動植物園再生プランにおいて、東山動植物園はレクリエーション施設というだけでなく、環境教育、種の保存、調査研究の面でのさらなる充実を図っていくことが謳われ、生物多様性保全における名古屋市の拠点施設として位置づけられた。植物園ではその取り組みの中で、桜の回廊、地域の自然学習林、東海モデル林の3施設が平成20年度に整備され、市民に親しまれている。

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