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東山動植物園の歴史

3.動植物園、総合公園の充実

動植物園の統合と東山公園の再開発

次の大きな転機となったのは、昭和43年に行われた動植物園の統合と、その翌年から開始された東山総合公園の再開発である。この計画は当時の杉戸市長の発案で、「青年都市名古屋を象徴する『光と緑』をテーマに、東山公園と平和公園を一体化し、さらに、施設・敷地の充実拡大を図って、真に市民の憩いの場として、また、自然観察の場として、中部圏の中核都市名古屋にふさわしい一大自然公園をつくりあげようとする」雄大な計画であった。

それから昭和50年代に至る再開発の中で、植物園では洋風庭園の改造と日本庭園の建設、温室の拡充整備などが行われた。洋風庭園ではイタリア式庭園、池、カスケードなどが、また日本庭園として新たに滝、流れが新設され、中部地方に自生する樹木や草本が自然に近い姿で植栽(生態展示)された。

整備途中で古窯が発見されたり、生態園にふさわしい「ホタルの飼育」も行われた。温室については当初のものを記念建設物として保存する方針が打ち出され、その裏側のサンギャラリーの改築、水生植物温室の新築などにより充実が順次図られていった。

昭和40年代のパンフレット
昭和40年代のパンフレット
発掘された古窯
発掘された古窯

施設・ソフトの充実と文化財

昭和55年には植物会館も建設され、事務所機能の他に講座・教室、企画展示、植物相談などを行う、植物園の核となっている。また、昭和26年に寄附を受けていた伊藤圭介の遺品を展示し、圭介の業績を市民に広く紹介するための伊藤圭介記念室も会館内に設けられた。「万葉の散歩道」、「東海の森」などのハイキングコースや、「中南米産植物温室」などの人気施設が整備されたのもこの頃である。昭和56年には名古屋園芸同好みどり会による園内案内ボランティアが開始された。

昭和60年代になると、ガーデニングブームに象徴されるように国民の花や植物への関心が大きく高まり、時代の要請に応えるように植物園でもさまざまな施設の整備が進んだ。昭和62年には開園50周年を記念して「なごやHAPPYフェア」が開催されることになり、事業の中で大花壇「世界のお花畑」が整備された。フェア期間中にはアメリカから運ばれたベンケイチュウが展示された。フェア終了後にその保存のため「サガロ温室」が建設され、現在もその巨大なサボテンを見ることができる。その後も「ハーブガーデン」、「花の谷・不思議の森」、「薬草の道」など、様々なテーマに沿って整備が進められた。一方、ソフト面での充実も図られてきており、平成4年には日本の植物園で初めてのガイドボランティア制度が発足した。人にやさしい植物園づくりを目指し、起伏の激しい園内の移動手段として平成16年からは電動カートを導入した。

昭和31年に白川郷から移された合掌造りの家や、昭和42年に東区から移築された名古屋市指定文化財の武家屋敷門、さらには平成18年に国の重要文化財に指定された温室前館など、植物のみならず文化遺産も加わって園の魅力はますます高まってきている。所蔵している伊藤圭介の遺品も平成7年に市の有形文化財に指定されている。植物園の野鳥の声が"残したい日本の音風景100選"に選定されたのは平成8年のことである。

伊藤圭介記念室
世界のお花畑
音風景百選碑

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