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東山動植物園の歴史

2.開園から戦争、伊勢湾台風

施設の充実と戦争による休園

昭和12年に開園した植物園は当初、温室と植物分類園のみであったが、次第に奥池や橋、児童園などを整備し、充実してきた。しかし、太平洋戦争末期の昭和20年には軍の接収により休園を余儀なくされ、空襲の爆風により温室ガラスが割れるなどの甚大な被害を受けた。多種多様を誇った栽培植物も大半が死滅し、燃料確保のため植物園の自然林は伐採され荒廃した。

空襲により破損した温室の様子
空襲によるガラス破損

戦後復興と伊勢湾台風

昭和21年1月に軍の接収解除を受け、終戦の混乱した社会情勢の中、市民にいち早く明るさを取り戻してもらうため、復旧作業が行われた。3月には動植物園の復旧・開園を果たし、10月には「東山公園復興祭」が開催され植物園では、子供相撲大会、植物標本展覧会、竹製品展覧会及び即売、そして緑化用樹木の即売会が行われた。

昭和23年終戦直後の植物園復興計画の一事業として、郷土の代表的な俳人横井也有翁の遺業を偲び、文化復興の一翼ともなれかしと「也有園」が設置された。昭和24年には「温室復興祭」も開催され、戦後の荒れ果てた温室も見事に回復し来園者を喜ばせた。

設置された当時の也有園
也有園

昭和25年には「子供の天国名古屋博覧会」を開催し、園内にはモノレール駅、昆虫館、科学の驚異館などが整備された。これを契機に再び施設は充実し、昭和27年には博物館相当施設に指定された(※動植物園統合後の昭和46年に再度指定)。その後植物分類園は姿を消し、公園的色彩が濃くなっていったが、観賞温室における熱帯植物の収集に力を入れ、日本有数のコレクションを誇る施設となっていった。

昭和31年には岐阜県大野郡白川村より合掌造りの家が移築された。翌年の昭和32年には開園20周年記念「子供の楽園世界探検博」が開催された。しかし、昭和34年の伊勢湾台風でふたたび甚大な被害を受けた。大温室はガラスが割れるなどの被害を受け、被害が甚大であった奥の温室は「ロサンゼルスハウス」として改装されることとなった。合掌造りの家は棟が傾き、園内での倒木は約3,000本とされ、自然林が一夜で明るくなってしまった。

移築後の合掌
合掌造りの家
ラフレシア
開園20周年事業にて展示されたラフレシア
温室台風被害の様子
伊勢湾台風被害

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