1.東山動物園の起源
明治15年3月20日、日本で最初の本格的な動物園である東京の恩賜上野動物園が開園した。(その経緯については労作「上野動物園百年史」が詳しい。)続いて京都市立記念動物園が明治36年に、大阪市天王寺動物園が大正3年に開設された。私立のものとしては、大正5年に鹿児島電気軌道が開設した鴨池動物園が最初であった。
東山動物園の起源は、これら日本の先進的な動物園に劣らずかなり古い。明治23年に動物商の今泉七五郎氏が名古屋市中区前津町(現在の上前津付近)に開設したといわれる「今泉動物園」がその遠い先祖である。(「名古屋都市計画史」によればこれは鶴舞駅南南西の七本松付近にあったという。)収容動物はニシキヘビ、ライオン、トラ、ワニ、サルなどだった。今泉氏は一風変わった人物だったようで、あごひげをたくわえ、選挙運動の応援にラクダに乗って市内をまわったらしい。
明治39年3月1日に今泉氏はこれを大須万松寺通りの善篤寺の隣に移設、名称を「浪越教育動植物苑」と変更した。(なお善篤寺は現在、千種区城山町に移転している。)入園料は2銭だが、経営は楽ではなかったようで名古屋市が毎年補助金を交付していた。
この頃、鶴舞公園の整備がすすむとともに動物園開設の要望が高まり、大正4年2月27日に市議会で「動物園設置の意見書」が満場一致で、大正6年4月24日にはこの「浪越教育動植物苑」を市営とする件が同じく満場一致で議決された。
一方、今泉氏には3人の男児がいたが、だれも氏の動物園を継ぐ意志はなく、また近所から動物の悪臭などについて苦情が寄せられたらしい。今泉氏は大正6年2月に動物を名古屋市へ寄付した。内訳は獣類79頭、ワニ2頭、鳥類273羽、カメ27匹、ヘビ48匹、魚類52匹、合計481点であった。今泉氏に対しては多年の経営の功に報いるために金3,000円が贈られている。