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東山動植物園の歴史

6.迫る戦雲

このようにゾウの芸が人気を博している一方、中国大陸の戦火はますます燃えさかり、国内もじょじょに戦時体制へ移行していく。動物園でも昭和12年11月には防空演習がおこなわれ、昭和13年11月5日、6日には日本軍の武漢占領を祝って4頭のゾウが戦闘服姿になっている。

7月、東山地区の防護団が再度「防空演習」の実施を申しいれてきた。「防空」とはいうものの、実質は猛獣屠殺の演習である。当日は休園日、銃声が響く中、ライオン放養場に発煙筒が投げこまれ、逃げまわるライオンを追いつめて飼育係員たちが上から網を投げおろすなど、まさに上を下への大騒ぎとなった。

5月23日、24日の両日、京都市記念動物園で全国動物園長会議が開かれ、東山動物園からは議案として「東亜大陸動物ノ輸入路開拓」「行催事ヲ国策ニ併行セシムル件」などが提出された。このころから「音楽童謡会」といったのどかな催しの他に「国策」に沿った行催事が目立つようになっている。3月10日には「軍馬・軍用犬・軍用鳩の慰霊祭」、4月27日には「支那事変名古屋市後援会と白衣勇士招待会」が開かれている。

当時、陸軍は北進論、海軍は南進論をとり対立していたが、そうした世相を反映してか、10月1日から8日まで「満州支那動物展示会」と北方に目を向けた企画がある一方で、植物園では昭和15年に南方圏の植物展示を始めている。また資源の逼迫を受けて、植物園は代用繊維となる植物を集めた「繊維植物園」の計画を立案、発表した。

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