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東山動植物園の歴史

5.サーカスからきたゾウ

昭和12年6月12日にタイから5歳の子ゾウが動物園へ入った。子ゾウは子供たちを乗せてあいきょうをふりまき、前述の一般投票で「ハナ子」と名づけられ、人気者になった。残念ながらこの子ゾウは12月初旬に死亡してしまう。

同年8月、木下サーカスからゾウを譲ってもいいという話が北王動物園長に伝えられた。7月7日には中国で蘆溝橋事件が勃発している。木下サーカスは日中戦争の拡大による鉄道事情の逼迫からゾウの輸送に不安を抱き、譲渡先を探していたようだ。市長はゾウ2頭の購入費として2万円を用意したが、木下サーカスは4頭いっしょでないと応じられないという。交渉の結果、4頭を2万8,000円で引き取ることに決まった。ゾウ使いの女性らの反対もあって手続きが遅れ、引き渡しは暮れも押しつまった12月24日におこなわれることになった。朝から冷たい雨が降る中、日章旗と軍艦旗に飾られた4頭のアジアゾウ「マカニー」「エルド」「キーコ」「アドン」は、午前7時30分、名古屋市昭和区牛巻町の木下サーカスのテントから動物園へと出発した。園長以下飼育係が待ち受ける中、午前9時30分、動物園に到着。途中で雨はみぞれに変わり、4頭ともずぶ濡れになっていた。これでゾウは「花子」とあわせて計5頭となったわけである。 この4頭のゾウはサーカスからきただけあって大変芸が巧みで、一躍動物園のスターになる。当時、午前2回、午後1回のショータイムがあり、レコードの軍国歌謡が流れる中、ゾウ調教師のノッパ・クン・ウイドラ氏らの指示のもと、タル回し、チンチン電車、「おねだり」などの曲芸を見せて子供らの喝采を浴びていた。

一方、昭和14年、しばらく前から肺結核を病んでいたゾウの「花子」が死亡した。27歳だった。

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