• 名古屋市では大正4年2月27日に、市長あての「動物園建設に関する意見書」が議決されており、動物園建設の機運高まる中で今泉氏の寄附を受け、大正7年4月1日、「名古屋市立鶴舞公園付属動物園」が開園しました。
    昭和4年に「市立名古屋動物園」と改称し、昭和12年に東山公園へ移転するまでの19年間、市民の動物園として、多くの人に親しまれました。

  • 昭和7年市立名古屋動物園要覧によると敷地面積3,650坪(12,066平方メートル)、ウナギの寝床のように細長い、決して広いものではなかった。しかし、夏季の夜間開園や各種の催しがあり、多くの人が来園しました

  • 昭和6年4月11日アジアゾウ体重測定の様子

    安藤銀行からの八千圓の寄付で購入したアジアゾウが、大正10年6月9日に来園しました。印度ボルネオ島産まれ、「花子」と名付けられ、昭和14年1月に亡くなるまで、動物園の人気者でした。

  • 昭和3年5月28日に来園したオランウータンは正吉と名付けられ、自転車に乗るなどして観客の人気を集めました。昭和13年に東山動物園で亡くなりました。

  • ホッキョクグマは昭和4年6月20日にオス・メスのつがいで、ドイツのハーゲンベック動物園より来園しました。

  • 昭和8年4月ドイツのハーゲンベック動物園よりローレンツハーゲンベック氏が来園しました。

  • 昭和9年10月1日、大名古屋祭において、朝鮮京城動物園より来園したカバの命名式が行われました。この命名式でと名付けられた「重吉」という名は、その後代々引き継がれ、多くのお客様に親しまれる名となりました。

  • 開園20周年 世界探検博覧会当時の正門前の様子

    東山動物園・植物園の開園に合わせて、覚王山まで走っていた路面電車(市電)が東山動植物園まで延伸されました。昭和12年2月27日から昭和36年5月14日の間、正門前の道路には路面電車が走り、交通手段の主役でした。
    市電東山公園駅は、覚王山-東山公園間の地下鉄工事のため運休・廃止されましたが、地下鉄が開通するまでの約2年間は、代行バスが運行されていました。

  • 【展示されていた路面電車】

    昭和54年~平成7年の間、「こども動物園エリア」では、路面電車の車両が展示されていました。

  • 鶴舞公園内にあった動物園が東山公園の一郭に移転拡張することとなり、昭和11年7月工事に着手、翌12年3月24日名古屋市東山動物園と名称を改め、現在の動物園が開園されました。正門の4本の門柱は、開園当時のもので、時代の移ろいを見守ってきました。

  • 昭和12年の噴水風景

    現存する正門を進んだ先の噴水。側面は干支のレリーフで飾られています。

  • 古代池の恐竜像は、ドイツのハーゲンベック動物園にならって、開園1周年を記念して造られました。老朽化により、平成24年に柵で囲われて近づくことができなくなりましたが、昔は背中によじ登ることもできました。平成29年、開園80周年を記念して補修・補強するとともに、周辺を憩いの広場として整備しました。

  • 戦後間もない昭和24年の記録写真によると、当時大人気だったアジアゾウのエルドとマカニーも恐竜像付近で遊んでいたようです。

  • 【科学館の前で記念撮影(昭和25年)】

    子供の天国博を機に多くの施設がオープンしました。現在のバラ園エリアに建てられた科学館は、翌年には電気科学館として電気科学に関する模型や、図表、体験型の実験装置などが展示され、楽しみながら科学を学ぶことができました。昭和37年に名古屋市科学館がオープンするまで、名古屋における自然科学、地球科学の学習施設として先駆的な役割を果たしました。

  • 【当時中部地区最大のの15cm屈折式望遠鏡(日本工学製)】

    現在のフォークダンス広場に建てられた天体気象館は、翌年天体館としてリニューアルされました。当時、中部地区で最大の15cm屈折式望遠鏡は注目の的でした。この屈折望遠鏡は、昭和39年の名古屋市科学館開館に伴い科学館屋上に移設され、昭和59年まで観望会などで活躍し、現在は名古屋市科学館に展示されています。

  • 開館した頃の昆虫館(昭和25年)

    現在の宿根草園には、当時昆虫の研究収集で日本唯一だった岐阜県名和昆虫館の協力により、昆虫館が設置されました。昭和40年代まで、日本全国はもとより、世界の珍しい昆虫標本を、テーマ別に分け展示をしました。

  • 【急斜面を滑走し水しぶきを上げる様子】

    明治36年大阪の第5回内国博覧会でウォーターシュートが国内で初めて設置され、その後昭和初期から中期にかけて各地に広がりました。東山動植物園でも子供の天国博で上池に設置され、高く上がる水しぶきに、連日大きな歓声が沸き起こりました。

  • ニコニコサーカスの様子(昭和30年頃)

    昭和26年から昭和46年まで20年続いた動物サーカス。サルやアシカ、オウムなどが芸をする姿は、多くの人々の笑いを誘い、約500人収容の屋外ステージは連日満員でした。また、園内だけではなく地方公演にも再三出かけ、戦後復興期に多くの楽しみを与えました。

  • 嫁入り行列の車両

    昭和29年10月3日カバ(2代目「重吉」×初代「福子」)の結婚式が挙行され、大須商店街(名古屋市中区)から動物園まで車両10台以上を連ねた盛大な嫁入り行列を行いました。熱田神宮や名古屋市役所にも立ち寄り、行く先々で人々の歓声に包まれました。

  • 【歩くすきまもない位混雑する園内】

    子供の楽園世界探検博覧会は東山動植物園の開園20周年を記念して、昭和32年3月15日~5月31日に開催されました。期間中100万人以上のお客様で賑わい、大成功を収めました。収益金のうち700万円は、戦時中に焼失した名古屋城の再建資金となりました。

  • 完成当初の屋外大劇場(昭和32年)

    世界探検博覧会では、東山の自然の地形を利用して、5,000人収容の野外大劇場が新設されました。再開発計画で昭和40年代に壊されるまで、歌謡ショーや漫才、演奏会など多くの催しを開催し、多くのお客様で賑いました。

  • 【完成当初の北園橋とバリ島寺院のパノラマ】

    北園橋は、世界探検博覧会で動物園本園とメイン会場である北園をつなぐ陸橋として完成しました。橋の近くにはインドネシアバリ島の寺院やアフガニスタンのマザリシャリフのモスクに模したパノラマなど、世界探検の気分が味わえました。

  • 高さ20mのスフィンクス像

    海外旅行があまり普及していない当時、世界探検博覧会の野外大パノラマは、世界を旅行している気分が味わえるとお客様に大人気でした。高さ20mのスフィンクス像は、多くの人の目を引きました。

  • 【ゴリラ来園を祝う様子】

    昭和34年、アフリカのカメルーンからゴリラ3頭が東山に初来園しました。当時1頭272万円を投じて購入したゴリラの子供たちは、後にゴリラショーで大人気になりました。

  • 【旧類人猿舎】

    ゴリラ来園に合わせて、類人猿舎が同年8月に完成しました。寝室には強化ガラスを採用、暖房も完備するなど、お客様に見やすく、動物も快適な生活を送ることができることを考慮して設計されました。外壁のデザインは、動物舎のなかで異彩を放っていました。昭和48年北園に新しい類人猿舎が完成するまで使用されました。

  • 【ゴリラ来園を祝う様子】

    また、当時の類人猿舎は、世界で類を見ないゴリラショーの舞台となりました。ゴリラショーは昭和38年~42年まで開催され、様々な芸をこなすゴリラは日本中を沸かせることになりました。

  • 【開通式の様子】

    昭和38年4月1日、地下鉄「池下~東山公園」間が開業されました。盛大な開通式が行われ、動物園からはトラもお祝いに駆けつけました。市電「東山公園駅」は覚王山~東山公園間の地下鉄工事に伴い運休・廃止されました。

  • 地下鉄「池下~東山公園」間の開業を記念して、「東山マジックフェア」が開催されました。

  • 【開館当時の水族館】

    水族館は昭和38年4月にオープンし、当時は「海から離れた場所にある水族館」として国内有数の規模でした。平成4年、名古屋港水族館がオープンし賑わう中、平成5年にひっそりと閉館しました。イベントや倉庫として活用された後、平成27年に取り壊され、跡地には現在の「ズーボゲート」がオープンしました。

  • 【開館当時の館内の様子】

    海水魚や淡水魚などの水生動物以外にも、オオハシやインコなど鳥類も展示していました。

  • 昭和39年2月8日に動物園駅~植物園駅間に開業した国内初の懸垂式(サフェージュ式)モノレール。開業当初は「未来の乗り物」として注目を浴び、銀色の車体に赤い帯は「ウルトラマン」を彷彿とさせました。動物園駅(現在のキリン舎付近)が正門より遠く不便だったこともあり、徐々に客足が遠のき昭和49年6月1日に運行休止しました。

  • 【モノレールの乗車券】

    東山公園モノレールは路線区間が471メートルと短く、今後長距離で運用するための実用試験の側面もありました。得られた運行データは、後に開業する湘南モノレールや千葉都市モノレールの参考とされました。

  • 【オープン当初のアフリカ自然生態園】

    開園30周年記念事業「キンダーフェアー」に合わせて、昭和42年3月にアフリカ自然生態園がオープンしました。キリン、シマウマ、ダチョウなどアフリカに生息する動物を同時に展示する画期的な施設でした。観覧エリアと運動場に高低差をつけることにより、観覧エリアからモート(堀)が見えないように工夫がされていました。

  • 【マサイキリン】

    アフリカ自然生態園がオープンした頃は「アミメキリン」と「マサイキリン」を同時に飼育していた時期もありました。

  • 【昭和44年11月発行 東山総合公園再開発計画より】

    現在の北園エリアの基礎は、昭和43年に策定された「東山総合公園再開発計画」の動植物園の区域拡張計画によるものです。計画は、その後のオイルショック(昭和48年)の影響を受けて縮小しましたが、獣舎の整備などが図られ、昭和62年には今の北園門が完成しました。

  • 再開発前の動物園の平面図(昭和34年3月)

    再開発前は、現在のアメリカゾーンから自然動物館、カバ舎周辺は整備されていませんでした。

  • 完成当初のバードホール

    昭和43年に発表された「東山総合公園再開発計画」に基づき、翌年から再開発事業が開始されました。バードホールは、第1号として昭和45年4月にオープンしました。高さ7メートル面積約550㎡の施設にキジやホロホロ鳥など25種類の鳥類が放たれました。人との間に金網をなくして鳥を観察できる施設として、当時日本で最大の規模でした。

  • 【昭和52年頃のアフリカゾウ舎】

    同じく東山動植物園再開発事業の一環で、昭和49年3月にはアフリカゾウ舎が完成しました。鉄筋コンクリート造2階建ての施設には、展示室の他に寝室、産室があります。写真中央に写っているのは、「ケニー」の子供の頃です。

  • 【昭和46年 移設直後のC62】

    狭軌鉄道の蒸気機関車として世界最速(129㎞/h)を記録し、現在、名古屋市港区の「リニア・鉄道館」に高速鉄道のシンボルとして展示されているC62 17号機が、昭和46年3月31日~平成22年1月17日まで教育等の展示資料として東山動植物園内で展示されていました。

  • 昭和46年3月11日早朝 到着の様子

    約89tともいわれる機関車は、昭和46年当時 笠寺駅から一晩かけてトレーラに載せられて運ばれてきました。

  • 平成22年2月 搬出のため解体中

    「JR東海博物館(仮称)」に展示するため、JR東海に返還することとなり展示を終了しました。

  • 【モクモク・コロコロ】

    昭和59年11月20日、コアラが初公開されました。公開までの間に、日本のオーストラリア大使館がコアラの名前を募集し、「モクモクと食べ、コロコロと元気に遊ぶ」という願いから"モクモク"と"コロコロ"と名付けられました。

  • 【名古屋空港でのレセプション】

    コアラを輸送するシドニー国際空港から成田空港行のカンタス21便は「コアラ・エキスプレス」という特別便でした。成田空港から名古屋へは日本航空のチャーター便でやってきました。名古屋空港でレセプションを行い、動物園へ陸送されました。

  • 【大行列の様子】

    コアラの初公開には、約8,000人が並び、4列に並んだ列が約1kmほども続いていました。

  • 動物会館は、動物についてよく知り学習する場所として、昭和60年4月にオープンしました。動物に関する図書館、動物に関する知識を深める展示物、200人収容のレクチャールームなどがあり、"見る"動物園から、より"知る、学ぶ"動物園へと充実することになりました。

  • 動物会館は、開園80周年を機に、展示エリアを改修しました。当園で飼育していたアフリカゾウの「チー」は、全身骨格標本として、よみがえりました。

  • 昭和61年、国内で初めてコアラの繁殖に成功しました。日本で初めて見られる赤ちゃんコアラとして、全国的に話題になり、専用のパンフレットが作られたほどでした。

  • ハッピーを宣伝する専用パンフレット

    昭和61年12月から翌年1月にかけて愛称募集を実施し、全国から27,006通もの応募がありました。審査の結果、翌年開催予定の50周年記念事業「なごやHAPPYフェア」にちなみ、「ハッピー」という名前が選ばれました。

  • 【昭和62年 開園50周年記念 なごやHAPPYフェア当時】

    園内の景色を楽しむだけでなく、植物園への移動手段としても親しまれているスカイビュートレインは、昭和62年3月21日~5月31日に開催された開園50周年記念「なごやHAPPYフェア」に合わせて作られ、期間中だけで170,911人が乗車されました。
    走路延長2,075m
    一周 約20分
    跨座式
    5輌1編成(定員78人)

  • 【オープン式典の様子】

    自然動物館は、名古屋市制100周年の記念施設として、平成元年10月にオープンしました。2階建てで広さは述べ3,800㎡もあり、ハイテクを駆使して動物たちの生息地を再現し、130種2000点のは虫類・両生類・夜行性動物が展示されました。

  • 【スターライトハウス】

    1階にあるスターライトハウスは、昼夜を逆転し夜行性の動物が活動する姿を観察できます。東山動植物園で初めて昼夜逆転展示を行ったのは、昭和45年秋、旧こども動物園に完成した「トンネル獣舎」です。当時の日本では珍しい展示方法でした。

  • 【世界のメダカ館オープン式】

    正門噴水横にあった旧水族館が老朽化したため、その代わりの水族館として平成5年にオープン。メダカに特化した水族館は世界でも類も見ない施設です。

  • 【リニューアルオープン日】

    平成22年4月にリニューアルされ、ニホンメダカが本来生息する田んぼの風景を再現するなど、より展示内容が充実しました。館内には展示水槽が約200ありますが、バックヤードには800を超える水槽があります。その水槽で希少なメダカなどを「累代飼育」(何世代にも亘り代を重ねて飼育すること)することにより種の保全に取り組んでいます。

  • キンシコウ

    孫悟空のモデルと言われるキンシコウは、金絲猴日中共同研究のため中国から平成12年4月に来園しました。共同研究終了後、平成22年に中国に返還するまで5頭の繁殖に成功しました。キンシコウ舎は、運動場と展示室の再整備を行い、平成24年3月にフクロテナガザル舎に生まれ変わりました。

  • 【左上:東山に向かう嫁入り行列車両  右上:結婚式の様子 下:カバ舎に到着した嫁入り車両】

    平成13年11月25日、昭和29年に行ったカバの結婚式が再現され、大須商店街(名古屋市中区)から動物園まで、車両を連ねて盛大な嫁入り行列を行いました。この日、オスカバは3代目「重吉」を、メスカバは2代目「福子」を襲名しました。

  • 東山動植物園再生プラン新基本計画の目玉事業であった日本最大級3,350㎡の新アジアゾウ舎が完成し、平成25 年9 月28 日にオープンしました。アジアゾウの全てを知ってほしいと言う意味を込めて、「ゾウのミュージアム」の造語、「ゾージアム」と名付けられました。

  • 引越し練習中!アヌラを押すさくら(生後約6か月)

    旧アジアゾウ舎からゾージアムまでの引越しは、長さ22mの通路を設置して行いました。平成25年1月に誕生した「さくら」をはじめ、アジアゾウ全4頭が引越しを終えるまで、約4か月かかりました。

名古屋市鶴舞公園附属動物園平面図

カメラマークをクリックすると当時の動物たちの写真を閲覧できます。

東山動物園 開園当時の鳥瞰図

カメラマークをクリックすると当時の動物たちの写真を閲覧できます。

アジアゾウの飼育歴

【来園】1921年6月

初代花子

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1939年1月

【来園】1937年6月

2代花子

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1937年12月

【来園】1937年12月

キーコ

【経歴】来園 
【生年月日】不明 
【死亡】1944年2月

【来園】1937年12月

アドン

【経歴】来園 
【生年月日】不明 
【死亡】1945年1月

【来園】1937年12月

マカニー

【経歴】来園 
【生年月日】不明 
【死亡】1963年9月

【来園】1937年12月

エルド

【経歴】来園 
【生年月日】不明 
【死亡】1963年10月

【来園】1951年12月

和代

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1955年11月

【来園】1957年11月

メリー

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1970年1月

【来園】1964年6月

エーコ

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1993年4月

【来園】1970年5月

セラム

【経歴】来園 【生年月日】不明 【死亡】1971年11月

【来園】1973年1月

ワルダー

【経歴】来園 【生年月日】1971年

【来園】1997年3月

アイ

【経歴】来園 【生年月日】1996年 【死亡】1997年8月

【来園】2007年7月

アヌラ(Anula)

【経歴】来園 【生年月日】2001年10月20日

【来園】2007年7月

コサラ(Kosara)

【経歴】来園 【生年月日】2004年5月11日

さくら(Sakula)

【経歴】繁殖 【生年月日】2013年1月29日

top