?謎のフォークダンス広場
2018年12月11日(火)
バラ園から階段を登っていくと丘の上にちょっとした広場があります。通称フォークダンス広場と呼ばれています。
でもなんでフォークダンス広場なの?今までにフォークダンスしているところ見たことないぞ。でもみんなが気づいてないだけで、毎日練習している人がいるとの匿名の目撃情報があるとか。やっぱり気になったので調べてみることにしました。
まずは調査における基本。古い新聞記事に何かしらのヒントがあるに違いないとねらいを定め探したところ、昭和44年4月14日の新聞の切り抜きに何やらそれらしい記事を発見しました。これは見出しからも十分に期待できそう ‼
❖その見出しとは 『 桜の下に踊りの輪 東山で「わこうどのつどい」 』 ドウデスカ。期待できそうでしょ。❖ 現在のフォークダンス広場は、昭和44年当時は、砂漠の丘と呼ばれており、ユッカやサボテンなどの多肉植物が植栽されていました。 記事には、愛知県少年協会、市教育委員会、中日新聞社などの主催で、砂漠の丘で「わこうどのつどい」が開かれ、働く若ものたち300人が集まった。ことし中学、高校を卒業し、ふるさとを離れて県内に就職した人たちを歓迎する催し。初めにサザンカの記念植樹を行い、そのあとに歌、そしてだんだんみんなの気持ちがほぐれていく。そしてプログラムの柱。フォークダンス。初めおずおずしていた新就職の若ものたちも、いつか軽いステップを踏んで、楽しさいっぱいのようすだった。踊りのうまい先輩を中心に三重の輪ができる。と紹介されています。 記事には「第二回わこうどのつどい」とあることから、前年の昭和43年にはこの場所で、フォークダンスが踊られており、当時は出会いや交流の場として若ものや家族連れでにぎわっていたと思われます。
ところで今でもサボテンはあるの?残念ながら、当時の砂漠の丘の面影を残すものは何もありません。また記念植樹したサザンカも確認できませんでした。今は、オーストラリアの植物を集めたオーストラリア園になっています。 (~_~;)
【現在のフォークダンス広場】
【カリステモン/オーストラリア園】
【染井吉野/『桜の木の下に踊りの輪』の桜だといいな!】
今回調べた限りでは結局のところ、いつの頃からフォークダンス広場と呼ばれるようになったのかは、わかりませんでした。しかし名前の由来は間違いなく「わこうどのつどい」にあるのではないでしょうか。
いまから50年くらい前の記事ですが、読んでいて、なんとも穏やかな春の日に、元気で希望に満ちた若ものたちの姿が目に浮んできます。(´―`) この場所にこんな素敵な過去が隠れていたなんて、みなさん想像できましたか。 (^^♪
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植物園緑地造園係長 太田 幹夫