ルーツは今泉動物園
2018年04月17日(火)
平成30年4月1日(日)は名古屋に市営の動物園が誕生して100周年にあたり、4月8日(日)に記念式典および一日動物園を鶴舞公園で開催しました。当日は天候に恵まれ、多くの市民の皆さんにご参加いただきました。このイベントで東山動植物園の前身が大正時代の中区にあったことを知った方も多かったことでしょう。
今回は、さらに歴史を明治時代にさかのぼり、市営動物園の起源となった民間の動物園についてご紹介したいと思います。その民間動物園とは、市民の今泉七五郎氏が明治23年に大須門前町において、個人で収集した動植物を見せるために開苑した「浪越教育動植物苑」です。市民の間では通称"今泉動物園"として親しまれ、名称の"浪越"は明治初頭から大須にあった「浪越公園」に由来しています。
【浪越教育動植物苑の創設者 今泉七五郎氏】
浪越公園は愛知県下で最初にできた公園で、現在は「那古野山公園」として大須演芸場の隣に残っています。また当時の名称には"教育"という言葉も入っていました。動物園における教育の大切さは、絶滅危惧種として野生動植物が注目される今日も「環境教育」としてますます重要視されています。この今泉氏の動物コレクション481点(トラ、ヒョウ、クマ、ワニ、サルなど)を名古屋市に引き継いだことが、大正時代に始まる市営動物園の基礎となりました。
【浪越公園跡(大須)】
さて、名古屋市へ動物を寄付した後、今泉氏はどうされたのでしょう。記録によると、開園と同時に市立鶴舞公園付属動物園の主任飼育員(当時の呼称は「技手」)として在籍し、市の動物園の運営にもご尽力をいただいています。
このように今も昔も動物園は展示動物とその飼育動物たちのお世話をする「飼育員」で成り立っています。動物たちの元気な姿を見られるのも飼育員さんの努力のおかげです。JAZA日本動物園水族館協会は2009年に4月19日が"しいく"と読めることから「飼育の日」と定めました。飼育の日にちなみ、4月14日~19日の5日間、「動物会館」において飼育係のお仕事を紹介するビデオを上映しますので、ぜひご覧下さい。
動物園長 黒邉 雅実