名古屋カバ入り物語?F
今回は後編「カバの嫁入り編」の第2回目です。
前回はカバの一家が戦争の犠牲となったという悲しいお話で終わってしまいましたが、今回は明るいお話です。
主人公はこちら
二代目「重吉」と「福子」です。
でもその前に、日本に戦後はじめてやってきたカバの話から始めたいと思います。
戦後はじめてカバがやってきたのは、昭和27年7月のことです。この年に開園70周年を迎える上野動物園が、前年10月に動物買い付けのための職員をアフリカに派遣したことがきっかけとなりました。
上野動物園の当初の購入予定は、カバとシマウマそれぞれオス・メス1頭ずつの計4頭でした。それを、日本の動物商からの依頼もあって、カバを3頭に増やし、他にキリンやクロサイなども持ち帰ることにしたようです。
朝鮮戦争激化による船不足や動物の疫病発生による動物移動禁止令などによってこの職員の帰国は大幅に遅れました。上野動物園創立70周年記念祭は3月10日の開幕でしたが、彼が動物たちを連れてアフリカを出発した6月7日には70周年記念祭は既に終わってしまっていました。
アフリカを出発し横浜港へと向かった船は、7月19日に神戸港へ寄港。ここで動物商に引き渡す動物、オスのカバ1頭、オス・メス各1羽のダチョウ、ゾウガメ、ブチハイエナを船から降ろしました。
ここで降ろされたオスのカバは「ライフィキ」という名前で呼ばれていました。よく人になついているカバだったのですが、メスのカバと同じ場所で捕獲されたもう1頭のオスのほうがメスとの相性がよかったため、上野動物園に行く2頭には選ばれなかったようです。神戸港で降ろされた「ライフィキ」たちの最終的な買い手は東山動物園でした。
そう、戦後日本にはじめて上陸したカバ「ライフィキ」とは、後の二代目「重吉」のことなのです。
「ライフィキ」たちは神戸で検疫を受けたあと、7月31日にトラックにより鈴鹿峠経由で東山動物園へと運ばれました。この真夏の名古屋入りは、暑さを避けるため未明から早朝にかけて行われたようで、写真が残っていません。というわけで、代わりに一年後のキリンの名古屋入り写真を載せておきます。
こうして東山動物園に入った「ライフィキ」は、この年の10月26日に「かば太郎」と命名されました。
この「かば太郎」のお嫁さんは、2年後の昭和29年7月27日に東山動物園へやってきました。このカバの名前は、公募により集まった3,542通のハガキを9月28日に審査し、11名の人が書いた「福子」という名前に決定し、10月3日の結婚式の日に命名されることになりました。
この「福子」は、名古屋初のカバ「重吉」のお嫁さんと同じドイツのハーゲンベック動物園からやってきました。北王園長らは戦争で死なせてしまった「重吉」夫婦を偲び、「かば太郎」に先代の名を襲名させることにしました。「福子」の嫁入りを契機として、ここに二代目「重吉」が誕生することになりました。
こうして結婚式を2日後に控えた10月1日、東山動物園と大須盛り場連盟との共催で、「福子」の嫁入り行列が行われました。市の広報車を先頭に東山動物園の3台(ライオン・トラ、サイ、ニコニコサーカス)と大須盛り場連盟の9台(カバの像、嫁入り道具など)が市中を行進し、行く先々で歓声に包まれました。
そして10月3日、小林市長立ち会いのもと、二代目「重吉」と「福子」の結婚式がとり行われました。
次回は二代目「重吉」と「福子」のその後について書きたいと思います。
再生整備課再生整備係 西尾 健司