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名古屋カバ入り物語?D

2011年10月14日(金)

秋まつり開始の前日、9月16日からはじめた連載も今回で5回目!
動物会館のパネル展も来週から後期展示「東山動植物園の歴史の紹介」へと変わります!
前期展示「新しいアジアゾウエリア関連の紹介」はあさってが見納めなので、まだ見ていない方は是非足を運んでくださいね。



前期展示「新しいアジアゾウエリア関連の紹介」



さて、本題に入ります。
前回は、「動物園の移転」が正式に決まったところまで書きました。
今回は、東山動物園建設予定地で地鎮祭が行われた昭和11年7月のお話から書き始めたいと思います。

ここでまたまた石川栄耀の登場です。
7月3日の地鎮祭から約3週間後の25日、石川栄耀は東山の地にいました。
2、3年振りにこの地にやってきた彼は、このときのことを雑誌「区画整理」(昭和11年9月号)に書いています。

「東山公園も変わった。
入口の園路。コンクリートの欄。



動物園本園と北園の間の道路(欄干現存)



それに沿ふて行けば、白砂青松の池。
 愉快相な若人達が、一心に釣りを垂れている。



上池の風景(戦前の絵葉書より)



植物園の鉄管が組まれてる。



昭和11年1月頃から始まった温室の工事



−こんな所に児童遊園が出来た。これこそ感慨無量だ。」



児童園(現在こども動物園があるところ)



そして、今は亡き狩野力との思い出を振り返っていました。

3年前の新池でのはじめての花火大会。
二人は審判席にいました。
「どこが、どう好いのか見当がつかない。」
素人が花火の審査などするものではないとすぐに悟り、二人でただただ苦笑していました。

今日はその新池の花火大会の日。
「どう考えても因縁ものである。」と。

この石川栄耀の東山への来訪から約1ヶ月後、彼が2年前に寄附した「河馬の噴水」が東山動物園に設置されることになったことが報道されています。
こうして、東山動物園内の新しいカバ舎「爬虫類河馬館」には、「河馬の噴水」が設置されることになりました。

年が明けて昭和12年の1月24日、東山動物園の工事進捗に伴い、鶴舞公園からの動物移動が始まりました。
2月12日、鶴舞公園内の動物園閉園。
カバの「重吉」は、3月22日に東山入りし、ここに昭和9年5月に名古屋入りしたカバ1頭と1体は、はじめて出会いました。

そして迎えた3月24日の東山動物園開園
目標とされた汎太平洋平和博覧会の開幕(3月15日)には間に合わず、3月3日に開園した植物園のような盛大な開園式は開かれませんでしたが、一般観覧者で連日あふれかえり4月だけで46万人余の人が訪れたといいます。
あまりの混雑に正門前の二十間道路(幅員約36mの道路。その後区画整理により西側部分がなくなり幅員24.45mの道路として現存。)について、早くも拡幅の必要性が議論されたほどでした。



旧二十間道路(かつてこの場所は中央プロムナード



正門前(右手に見える煙突が爬虫類河馬館の目印)



胡蝶池付近から見た噴水と爬虫類河馬館



爬虫類河馬館内部(一番奥がカバがいるところ)



上の写真の一部を拡大



この写真の左下に「河馬の噴水」がかすかに写っています。この「河馬の噴水」は昭和50年代まであったと思われますが、鮮明な写真が残っていません。読者の方で、もし写真をお持ちの方がいらしたらご連絡ください。よろしくお願いします。



屋内のカバ



汎太平洋平和博覧会の閉幕が近づいた5月28日、石川栄耀ははじめて東山動物園をおとずれました。来園者で賑わうこの光景を見て、10か月前におとずれた時以上に、まさに「感慨無量」だったことでしょう。


再生整備課再生整備係  西尾 健司

                           完


「・・・・・・・・・・・・」


と、ここで終わってしまってはタイトルに比べて話の内容が中途半端ですね。
やっぱり“嫁入り”しないと。

ということで、今回までを前編「石川栄耀のカバ編」とし、次回から後編「カバの嫁入り編」がスタートします。お楽しみに!

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