名古屋カバ入り物語(3)
9月16日から連載しております。
3回目となる今回はこの写真の話をしたいと思います。
この写真は、昭和8年に開催された第2回動物祭の2日目(5月7日(日))の催し「動物に関する座談会」の光景です。
一番右の人物が大岩市長であり、その左にいるのが石川栄耀、左端後ろ姿の人物は北王動物園長だと思われます。
子どもたちの前にはラジオ放送のマイクがあります。
「NHK名古屋放送局80年のあゆみ」という本には、この第2回動物祭の放送が反響をよんで浄財が集まり、シマウマとカバを購入したと書かれています。
シマウマはこの年8月に名古屋に入ってきますが、カバは翌年5月。当時の日本では、カバは東京、京都、大阪、熊本の4カ所にしかいない珍しい動物であり、受け入れる設備も必要で、即購入というわけにはいかなかったようです。
一方、この頃の東山公園(当時の名は森林公園)はというと、地主による用地の寄附と東邦瓦斯株式会社による植物園新設費の寄附で「植物園」の建設は軌道にのりましたが、「鶴舞公園から移転する動物園」のほうは大岩市長らによる私的な研究の扱いでした。
5月5日の市の幹部らによる現地視察会が終わると、今度は隣接する田代土地区画整理組合から寄附をもらおうと動き出します。
7月の第2回公園祭では、新池で花火大会を行い東山公園開園に向けた機運を盛り上げ、8月には組合の主要人物を市長室に招き直談判したようです。
こうした状況の中、石川栄耀に「東京への異動」の内示があります。
昭和8年9月は、新しい市役所(現:市役所本庁舎)が完成したのに伴い、大規模な組織改編・人事異動がありました。
市には公園課が新設され、初代公園課長には、愛知県都市計画課で石川栄耀とともに東山公園実現に協力してきた狩野力が就任し、引き続き東山公園を担当することになりました。
東京へ移った石川栄耀は、座談会で子どもたちから「河馬を買ってくれ」といわれたのを思い出し、名古屋に「河馬の噴水」を贈ることに決めたのでした。
というところで今回の話はおしまい。
次回は「河馬の噴水」の部品である「河馬のブロンズ像」と名古屋市初の本物のカバが名古屋入りします。
再生整備課再生整備係 西尾 健司