ゴリラの「オキ」の動物園葬を行いました
2011年01月17日(月)
平成23年1月15日13時30分より、12月30日に老衰で亡くなったニシローランドゴリラのオキの動物園葬を行いました。
当日は寒い日でしたが、200人を超える多くの参列者にお出でいただきました。これだけ多くの参列者に来ていただけたことはオキが多くの皆様に慕われていた証です。
参列いただいた方、お花や果物などをお供えしていただいた方々に心よりお礼を申し上げます。また、全国のオキのファンの方々からも冥福を祈るお手紙を頂きました。ありがとうございました。
動物園葬は総合公園長の追悼の辞に始まり、動物園長の功績紹介、昔の飼育担当者と現在の担当者からお別れの言葉の後、参列者の皆様に献花をしていただきました。
また、絵本作家の阿部知暁(あべちさと)様からはオキを描いた大きな絵を頂きました。
誠にありがとうございました。
私がオキに出会ったのは9年前で、オキのことを充分知っている訳ではありませんが、オキの功績について4つほど紹介させていただきます。
一つ目はゴリラショーです。
1963年5月26日 世界で初めてのゴリラショーが始まりました。この時、オキは6歳でした。このゴリラショーは1968年6月まで足かけ5年に亘り続けられました。ゴリラの調教は世界で初めてのことで海外からも関係者が視察に来たほどでした。この時オキは11歳でした。
二つ目はオキが子供を産んだことです。
1988年、オキが31歳の時に初めて子どもを産みました。国内で7頭目の出産例でした。残念ながら生まれてすぐに死亡してしまいました。国内出産例7頭の内、生存個体は2頭だけで、この頃、ゴリラの赤ちゃんを育てることは難しいことでした。
3つ目はネネの子のアイを孫のように面倒をみたことです。
2003年2月、雄リッキーと雌ネネの間に雌のアイが生まれました。この時の東山のゴリラの家族は4頭、オキとアイの父親リッキー、アイの母親ネネ、ネネの子供アイが一緒に暮らしていました。しかし、アイの父親リッキーはアイが生まれた1週間後に急死。ネネが動揺する中、オキが子育てに協力してくれたことで、アイは無事に育つことができました。実はオキもネネも子育ての経験も見たこともなかったのです。知能の高い類人猿は子育てを学習しないとうまくできないと言われていましたが、経験も学習もしたことがないオキがきっちりと子育てに協力してくれました。アイを背中に乗せて歩く姿は微笑ましい光景でした。この時オキは46歳でした。
4つ目はオキが日本一の長寿になったことです。
2010年12月30日 前日からの寒さがこたえたのか、この日、朝から寝室でうつぶせになっていました。懸命な治療をしましたが帰らぬ人となってしまいました。
53歳でした。日本で最長寿、世界では2番目の長寿ゴリラになりました
ゴリラの53歳は人間でいえば100歳以上です。大往生でした。ただ、一つだけ悔やまれることがありました。それは息を引き取る時、孫のようなアイや長年一緒に暮らしたネネが一緒でなかったことです。
東山動物園では2003年にオスのリッキーが死んでから、オス不在のメスばかり3頭の家族になってしまいました。そこで、2007年姉妹都市のシドニー市のタロンガ動物園からオスゴリラのシャバーニ(10歳)の寄贈を受けることになりました。シャバーニが東山動物園に慣れたところで、ネネ、オキ、アイとの同居を試みました。ネネとシャバーニはすぐに仲良くなりましたが、オキ、アイは簡単にはシャバーニを受け入れることができませんでした。そこで、様々な組み合わせで同居作戦を展開していました。そのため、ここしばらくは、オキはアイ、ネネとも別室で過ごしていました。年老いたオキには一人暮らしはつらかったのかもしれません。12月30日、息を引き取ったこの日も一人でした。できれば、アイとネネに会わせてあげたかったです。
天国では昔の仲間のゴン太、プッピーそして母親代わりだった浅井力三さんが待っています。
オキ、天国へ行って昔の仲間と楽しくのんびりと暮してください。
東山動物園での52年間、皆を楽しませてくれてありがとうございました。
また、この動物園葬を開催するにあたり、オキを見送る立派な祭壇や遺影など、東海典礼さんに多大なるご協力を賜りました。この場をお借りして厚くお礼申しあげます。
動物園長 小林 弘志