植物園のボランティア 「伊藤圭介文書(もんじょ)研究会」
2021年02月02日(火)
皆さんは、名古屋出身で、わが国最初の理学博士である伊藤圭介をご存じでしょうか。
伊藤圭介は、享和3年(1803年)に名古屋で生まれ、医学を修める一方、シーボルトに出会い長崎遊学を経て植物の知識を深め、初めて「おしべ・めしべ・花粉」などの言葉を作りました。
長崎への道中日記が『瓊浦游紀(けいほゆうき)』として残っており、この日記を始めとして、圭介が日常を綴った明治31年(1898年)11月3日までの約240カ月の日記がご子孫から東山動植物園に寄贈されました。日記の他にも絵画・植物図・魚図・書状など多岐にわたる遺品が寄贈され、1,690点が名古屋市有形指定文化財となっています。
伊藤圭介が文政10年(1827年)に記した『瓊浦游紀』の解読を、大学関係者等研究者の方々にご協力いただき、平成7年に『伊藤圭介日記第1集』として刊行しました。
現在も、14名の方が「伊藤圭介文書(もんじょ)研究会」と言う任意の研究会でボランティアとしてご協力いただき、令和2年12月に明治13年8・9月を『伊藤圭介日記第26集』として刊行しました。現在、約3分の1の解読が進み、引き続き作業を続けています。
【伊藤圭介が残した実際の日記(左下・市文化財)と刊行した伊藤圭介日記】
植物園長 谷口 茂弘