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東山動植物園の歴史

6.昭和50年代

近代的動物園の使命を担って

動物園が持つ社会的な使命(役割)は、次の4つの柱に集約されている。

  • レクリエーションの場
  • 教育の場
  • 研究の場
  • 自然保護の場(種の保存)

東山は、昭和44年度から始まった再開発事業により、この4つの使命を整えた近代的動物園に生まれ変わっていった。見る人にとっても、動物たちにとっても、快適な動物園として整備されていったのである。昭和52年に完成したインドサイ舎、カンガルー舎、昭和54年のシベリアトラ舎、昭和55年完成のアメリカ大陸コーナーなど、日本の動物園の中でも自慢の施設が整備された。そして、教育の場としての役割の充実を図るため、昭和58年度から建設の始まった動物会館が、昭和60年3月に完成した。"見る"動物園から、"知る、学ぶ"動物園へと、さらに充実したのである。

動物会館-動物園社会教育の拠点
動物会館-動物園社会教育の拠点

広がる国際親善の輪

昭和50年代に入ると、動物園の国際交流の輪は、一段と大きく広がった。昭和52年に開催された開園40周年記念の「オーストラリア・フェア」は、自然を通じて両国の理解を深める上で、大きな役割を果たし、ウォンバットやインコ類などが多数来園した。

さらに、昭和53年のメキシコ市、南京市、昭和55年のシドニー市などとの姉妹・友好都市の提携には、動物大使たちが交流の舞台で活躍した。

昭和58年に完成した「鳥類舎」は、国際交流によって来園した鳥類が集められ、別名「国際親善バードハウス」と呼ばれた。

そして、昭和59年は、東山にとって昭和50年代を締めくくるにふさわしい国際交流の年であった。4月11日に南京市長一行が来園し、念願のマヌルネコが贈られた。

10月25日には、長年の準備と努力が実り、2頭の雄コアラ「モクモク」と「コロコロ」が日本に初めて来園したのである。動物大使たちは、各国、各都市との友好の絆を強く結びつけ、その親善の役割を十分に果たした。

コアラ到着を歓迎する名古屋空港でのレセプション
来園したモクモクとコロコロ

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